北方型住宅のこと
日本で最初の高断熱住宅 旧荒谷邸
取材日:2022/04/30
旧荒谷邸
寒さ・暑さを取り除く答え
日本における温熱環境研究の先駆者、荒谷登氏は、1979年に「夏冬対応の実験住宅」として自邸を建築した。その家は「高断熱住宅の原点」として、40年以上たっても建築に携わる多くの人々を魅了している。住宅業界がゼロカーボン実現を目指し、これからのあるべき住宅の姿を模索している今、多くの示唆を与えてくれる「旧荒谷邸」を訪ねた。
「自然エネルギーという無償の富を生かす」
(荒谷氏の言葉)
旧荒谷邸を訪れたのは3月上旬。穏やかに晴れているが、雪はこんもりと積もっている。この日の最高気温は4度ほど。現在のオーナーのサデギアン・モハマッド・タギ氏(工学博士、タギ建築環境コンサルタント社長)が雪かきしながらにこやかに迎えてくれた。
イラン出身のタギ氏は1989年に来日し、94年から96年の3年間、荒谷氏の北海道大学建築学科建築環境学講座で学んだ。旧荒谷邸を買い取ったのは2010年。この家を後世に残したい荒谷氏に相談されてのことだった。以来、文化財を修復するように手入れを行いながら大切に住んでいる。
まず、建物の外から見学する。外装は道産トドマツの羽目板で、40年以上経っても美しい。タギ氏が一枚一枚剥がして塗り直し、再度貼り直したという。
南側に回ると、特徴的な日除けと多層窓が見られる。自然エネルギーを活用する荒谷氏のアイデアの一つだ。夏と冬で変化する太陽の高度に合わせて設けられたルーバーの庇は、夏は日射を遮蔽し、冬は部屋の奥まで取り込む。ルーバーなので雪が積もることもない。
窓の大きな連なりは圧巻だ。まだ、トリプルLow―Eサッシが製品化されていなかった時代、透明ガラス3枚と選択反射フィルムを用いて手作りした断熱窓で、2階の窓は幅7mを超える。
小屋裏にかかる軒には3枚の太陽集熱パネルが並んでいた。太陽熱を集め、家の中の蓄熱槽でお湯を作るシステムだ
「寒さが厳しい地方ほど内と外を区別する」
(荒谷氏の言葉)
ひとまわりして東側の入口に戻る。玄関は二重の木製扉で断熱性を高めていた。一歩中に入ると石を敷き詰めた土間が広がる。驚くほどしっかり暖かい。玄関について荒谷氏が「寒い外から人を迎える一番大切な場所」と書いていた一節を思い出す。ここで雪を落とし、コートを脱ぐ。
土間も部屋もコンクリートブロックの壁だ。蓄熱するコンクリート躯体の外側をグラスウール90㎜と押出法ポリスチレンフォーム150㎜を合わせた合計240㎜の断熱層で包んでいる。
ここには大きな熱容量があり、窓からの太陽熱と生活家電や人体から排出する熱がムダなく使われ、暖房負荷がほとんどかからないそうだ。荒谷氏が住んでいた頃、冬にボイラーが故障したが3日間気づかなかったという逸話が残っている。
竣工当時は温水暖房を採用していたが、現在は薪ストーブ一台で約100坪の家全体を暖房している。建物の真ん中あたりにある半地下のボイラー室に設置されていた。
この全館暖房の仕組みはというと、各場所の冷たい空気は、最も温度の低い床下に自然に降下する。床下とつながるボイラー室で空気は温められ、階段室を通って2階まで上がっていく。自然対流を利用したパッシブシステムだ。
夏は、夜間の涼しい空気をロフトの高窓から取り入れ、躯体や土間を冷やす。基礎断熱した地盤の冷却効果もあり、エアコンなしで快適に過ごせる。
荒谷氏は、この実験住宅で「冬は友達・夏を涼しくする試み」をテーマに掲げていたが、高断熱住宅は冬はもちろん夏対応にも効果があることを証明した。
「建築を社会資産として蓄積していくように」
(荒谷氏の言葉)
二世帯住宅として設計されたこの家は、1階に複数の寝室や子供部屋、書斎があり、2階にはリビングとキッチン、浴室、洋室がいずれも二つずつ設けられている。
南面に連続する大開口から冬の日差しがリビングを満たしていた。窓とリビングの間には細長い「室内縁側」があり、タギ氏が言うには「洗濯物がすぐ乾くから便利」とのこと。観葉植物も陽だまりの中で生き生きと茂っている。
左側のリビングに隣接する部屋に白い梯子が掛けられていて、ここからロフトに上がると、南面に上部が開口する内倒窓が連続している。室内の熱を排出したり、冷気を取り込んだりする重要な高窓だ。冬の内外温度差を利用した自然計画換気にも欠かせない。この家の換気は窓の開け閉めによる自然換気により行われ、機械換気はキッチンのレンジフードのみ。自然エネルギー活用の徹底ぶりがうかがえる。
原点を伝えるタギ氏
タギ氏がこの家に住むことになった当時のことを話してくれた。大学を退職していた荒谷氏は子世帯と同居するために売却を考え、不動産屋に相談したところ、家を取り壊し更地にするしかないと言われたそうだ。
驚いた荒谷氏は、教え子のタギ氏に家を譲り受けてほしいと持ちかけた。タギ氏は意を決して、思いを引き継ぐことにした。それから見学したい人を誰でも受け入れ、荒谷氏に代わって断熱の原点を伝えている。