元気な工務店
社寺から住宅まで大切な場をつくる

取材日:2022/10/30
おかげさま(帯広市)
おかげさまは、主に社寺建築を手掛ける道内では希少なビルダー。菅原雅重社長は東京や京都で研鑽を積んだ宮大工で、伊勢神宮をはじめ歴史的な社寺の造営・修復に携わってきた。一級建築士でもあり、設計、丸太からの製材、加工を仲間と共に行っている。現在、業務が店舗や住宅にも広がる中、北海道らしい建築を考えているという菅原氏に話を聞いた。
社寺建築を深めて
建築とは掛け離れた学部に在籍していた大学時代、一冊の本との出会いが大工の道を開いたという。題名は「現代棟梁 田中文男」。日本の木造建築に多大な影響を与えた田中文男氏の仕事と言葉を綴ったものだ。
自らの手で極限のものづくりをする魅力に惹かれ、「大工になりたいというより、この人の下で働きたいという思いが強かった」と菅原氏は振り返る。意を決し、田中氏を事務所の前で待ち伏せして弟子入りを願い出た。「大卒は取らない」と最初は断られたが、田中氏が主宰する眞木建設(現風基建設、東京都)に入社することができた。
そうして大工修行が始まった。同時に設計もできる大工を目指すため、夜間の早稲田大学専門学校に通い建築を学んだ。のちに一級建築士の資格を取得する。その後、京都の社寺建築を専門的に手掛ける細見工務所を経て、2009年に伊勢神宮第62回式年遷宮で外宮の副棟梁を務めた。「ほぞ穴の底まで一切刃物の跡が残っていてはだめで、最高の状態を求められる」。宮大工の頂点ともいえる仕事だ。

修復後の帯廣神社(本殿・拝殿修復工事/2018年)
6年間に及ぶ伊勢での役目を終え、菅原氏は故郷の帯広市に帰ってきた。16年に「おかげさま」を設立。北海道の社寺建築を引き受け、「身近な人たちのために祈りの場を作る」ことを求めた。

部材を加工する
宮大工が作る住宅
おかげさまでは、これまで帯廣神社や音更神社の修復をはじめ、保育園や店舗の設計・施工を行ってきた。今年初めて、住宅を手掛けることになった。施主は3年前におかげさまで店舗を建てたパン屋の主人で、住居と客用のフリースペースを作りたいとのことだった。
敷地内には古い牛舎があり、それを解体し、跡地に建てることになった。牛舎の梁には長さ6.5m、25㎝角のナラ材が大量に使われていた。それらを丁寧に処理し、新しい建物に用いる予定だ。
菅原氏は、古い材料や曲がった木でも扱えることが宮大工の技という。用途に合わせて木材を取り寄せるのではなく、「この木を使うなら何ができるのかを考える」、そうすることによって建築の幅が広がっていく。
木材を選びに施主の家族と共に森を訪れ、そこで大きな古株に4本のカエデの木が生えているのを見つけたそうだ。施主は子供が二人の4人家族でちょうど数が合う。耕作放棄地に移住してきたことは、古いものを礎に新しいものが生まれる倒木更新のようだ。
家族を重ね合わせられるこの4本の木を使うことを、施主も子供たちも選んだ。どうデザインするかは菅原氏の腕の見せどころだ。また、「北海道らしい建築について考えている」と話し、今回は刈り取った小麦の藁を壁材の一部に使用するという。小麦の一大産地である十勝らしく、施主が営むパン屋にもつながる。麦藁の壁は、エコロジーの観点から茅葺きや藁葺きを住宅に取り入れているオランダではよく見られるそうだ。国内でも古民家などで使われている例がある。
道産という広いくくりではなく、「地域を絞り込み、狭い範囲で地元の材料を厳選したほうが、ありきたりではない良いものができる」と菅原氏。住宅用の神棚も製作するが、その社殿の屋根を小麦の藁葺きにしたいとも思っている。

木材を選びに施主の家族と森へ
専門からはみ出す
おかげさまには加工場があり、山から切り出した原木を製材し、加工から組み立てまで一貫して行うことができる。小規模な体制は、これまで大規模生産に注力してきた日本のものづくりとは違う道を歩んでいる。
菅原氏は、「これからは小さなチームが必要とされる」と話す。大規模生産では生産拠点が一極に集中するが、効率を求めて人材の専業化が進行する。そこで働く人々は、専門以外のことが見えづらくなってしまいがちになる。一方、小さなチームは、お互いが専門からはみ出して協力し合う。一人ひとりが自ら考え、行動しようとする。
そう考える根底には、昔の棟梁の姿がある。彼らは建物を作るのに自分の手で一から手掛けたものだ。そんな風に「全部できる棟梁になりたかった」と菅原氏は笑った。

丸太からの製材、加工を行う